無断掲載お許し下さい
でも、ちゃんと読んで考えたい
その4
立教新座中学・高等学校
校長 渡辺憲司 氏

卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。


諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。
とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。

未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。
私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。

楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
 「今日ひとりで海を見てきたよ。」
そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。

青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32

一言付言する。

歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。
本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)
被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。
梅花春雨に涙す2011年弥生15日。



卒業式を中止した本校中学三年生諸君へ。

三年間の諸君らの努力が実を結び、卒業の時を迎えたことに、本校教職員を代表して心より祝福を述べたいと思います。
又、諸君たちを見守り、支えてくれた多くの人、ことにその成長を心待ちにし、本校の教育に一方ならぬご理解をいただき、深い愛情で見守っていただいた保護者の皆さんに、心よりの敬意と感謝を述べたいと思います。
諸君らは、これで義務教育を終え、新たな生活に入ることになります。
国民の義務として行わなければならない行動としての教育状況からは、大きく変化するわけです。高校に行くことは君らの選択権によって決まったことなのです。保護者の強いサポートがあったにせよ、君らの責任によって高校進学を決定したのだと云う事を忘れないでください。

責任に裏打ちされた行動が求められるのです。
自己責任の重さは今までとは比べようがないものです。中学を卒業したということは、責任ある存在として社会から認知されたということです。

今、日本はかってなかった、未曽有の天災の悲劇を迎えています。
この悲劇を迎える諸君たちの立場も、中学時代の君たちと、今卒業してからの君達とは大きく変わったものです。社会に支えられた被保護者としての自己から、社会を支える一員として認知された存在と変わったのです。社会の一員として今この惨状を直視しなければなりません。

旅立ち、十五歳の春。君たちは、自らの手で始めてほんの少しその扉を開けたのです。
いつもの年であるならば、その扉の向こうに見えたものは、旅立ちを祝する柔らかな日差
しでありました。今、社会は昨日までものものとあまりにも違います。

歴史は、おそらく2011 年3 月11 日を境に、平成大震災前、平成大震災後と呼ぶでしょう。諸君は、この震災の直下に、社会的存在として旅立ちの時を迎えたのです。

生まれて100 日頃を迎えたペンギンは、それまで親から口伝えでもらっていた食料を、もらえなくなり、自分で海に潜り食べ物を探します。親離れは、社会的存在となる第一歩です。諸君たちに今その時が来たのです。
小さなペンギンのように、海に出なければなりません。海辺でヨチヨチと波に踊り、どうやって水に入ろうかと迷っているときに、かってない、親たちも見たことのないような、大きな波がやってきたのです。しかし、ペンギンに躊躇の時は与えられません。誰も背中を押しません。誰も今は危険だと引き留めてもくれません。濁流の海に泳いで生きていかなければなりません。

今度の災害を眼前にして、私はおめでとうという言葉がなかなか出てきません。その言葉があまりに明るく、私の心を暗くするからです。しかし、今この時だからこそ、諸君に私の思いを伝えなければなりません。
この災害が、諸君の前に提示した課題はあまりに重いものです。自然とは何か。自然との共存とは何か。ありのままの自然を残すとはいかなることなのか。防災と自然はいかなる関係にあるのか。

原子力発電所の危険が叫ばれた時、私は何をしていたのか。どんな行動をとっていたのでしょうか。他人事のようにぬくぬくと人工の陽だまりで昼寝をしていたのです。今、悔恨・自責が脳裏をかすめます。エネルギー問題への答えも出ません。
世界の国々から救援隊が続々やってきました。アメリカの空母が、三陸沖に派遣され、人命救護の最前線に立っています。

平和・環境・安全など。多くの問題が私の胸中に渦巻き、いかなる問題も解決を見せて
いません。

中国・韓国の隣人たちからもいち早く救援隊が駆けつけてくれました。ロシアは天然ガスの供給を提示し、今も窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来ました。世界の各国から多くの救援が来ています。

地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考えます。

泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿がありました。行方不明の母
を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映りました。泥の海に浸り一命を取り留めた父が、家族のために生きようとしたと語っています。
君らと同じ年代の、まさに卒業式を迎えようとしていた生徒にも、悲惨は容赦なく過酷でした。

今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問わなければなりません。

旅立ちを前にした諸君たちの課題はあまりに厳しく、あまりに過酷であるかもしれません。
私たちが築いてきた価値観も大きく揺らいでいます。歴史は、進歩という名の下で、大きな過ちをおかしているのかもしれません。流れを変えるのは君たちです。未来は君たちの双肩にあります。

純なるものを求める、十五の春の涼やかな瞳よ。
若さと正義に満ちた若者よ。
凛凛と眉をあげ、この難題を心に刻み、立ち向かってほしいと思います。

今ここで卒業できることの重みと感謝を深く共に考えましょう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げましょう。
共に共にいまここに私たちがいることを。

被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は、新たなる旅立ちを誓っていきたいと思います。

本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けました。
被災者の人々への援助をお願いしたいと思います。もとより、ささやかな一助足らんとするものですが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためでもあります。
2011 年度立教新座中学・高等学校卒業生一同として、被災地に送らせていただきます。
春風梅花をゆらす
2011 年弥生16 日。



誕生の命。立教新座中学入学式祝辞

少しの時間目を閉じください。

まぶたの奥で、想像してみてください。

君たちの生まれた日のことを。

生まれた日のことですから、君たちに記憶があるはずがありません。
でも君たちは、その記憶がないにもかかわらず、その日を思い出すことができるはずです。

私は、今66歳ですが、66年前のことを想像することができます。
母の顔を、嬉しそうにのぞきこむ父の顔が浮かびます。名前をどうしようかと悩む父の顔が浮かびます。ベットでほっとした表情の母の顔が浮かびます。
「ご苦労さん」と父が母に言っているような気もします。

君は、大きな声で泣いています。
看護婦さんが、「男のお子さんですよ」と、やさしく言っています。
君たちは、きっと自分の生まれた時の写真を持っているはずです。その時の顔を思い出してください。

白い産着を着た君の瞳は、今と同じように少しまぶたを閉じているかもしれません。
君たちそれぞれに少し違いがあるかもしれませんが、その時のことに大きな違いはありません。
そこには君たちの輝ける命の誕生がありました。両親をはじめ、周囲の祝福がありました。このことは、ここにいるすべての人に共通していることです。

私はまず君たちがこの世に生を受け、今ここに元気で居ることに、謙虚に、互いにおめでとうと言いたいと思います。
命への祝福と感謝は、あらゆる人に共通のものです。
互いが、互いに命の尊さを心に刻むことが、入学式という始まりにまず確認することです。
入学式というのは、始まりの時です。原点に、立ち戻ることではないかと思います。

それから、12年間、君たちは、そのまぶたを大きく見開き、色々のものを見てきました。悲しいことも、嬉しいこともあったでしょう。自信を持ち、自分を誇りに思うこともあったでしょう。心躍り、有頂天になったこともあったでしょう。学校からの帰り道、泣きながら帰ったこともあったでしょう。

私も、今、君たちと一緒に、泣きじゃくった日のことを思い出します。友達を傷つけたこと、いじめられたこと。思い出したくないことも思い出します。

今までの思い出を大切にすることも大事です。過ぎ去ったことをいとおしく思うことも、新たな出発に大切なことです。

しかし、私はそれ以上に、新たな出発には、過ちを、新たな心で変えていくことが、大事なことであると考えます。

動物は、過去のことを本能的に忘れることはありません。人間も同様です。

しかし、動物は、過去を意識して忘れることは出来ません。人間は、自分の力で、過去の失敗や過ちを正すことができます。
動物は、消しゴムを使うことが出来ません。人間は消しゴムを使い新たなページを作ることができます。

自分が成長とともに持つ責任とは、新たな自分を作り上げて行くことです。

人を傷つけたことを忘れてはなりません。しかし、その時の自分から、新たに生まれ変わらなければなりません。そんな、自分とは、きっぱりと離れましょう。

生まれた日のことを、互いにその日が大切な日であったことを、もう一度思い出し、命の大切さを深く重く感じあいましょう。

私は、絶対にいじめを許しません。
人間は人間として、あらゆる暴力を許してはなりません。

今、この時、命の大切さを強く思います。

友達を思いやり、私たちが互いに助け合う心を持つことが、春浅い被災地の君らと同じ時を迎える諸君の悲しみに寄り添う責任でもあります。
夢と希望にあふれた入学式を、迎えようとして迎えることのできなかった、友人たちの思いをしっかりと、胸に刻んでこの時を迎えたいと思います。

被災された土地での入学式も報道されています。皆さんは、どのような気持ちでその画像を見ましたか。私は、その画像を見て勇気づけられました。皮肉なことのようにも思えますが、被災者の皆さんを少しでも勇気づけることができたらと思っている自分が勇気づけられたのです。皆さんと同じに私も悲しみや苦しみを抱えています。今の日常がどんなに大切であるかを強く考えさせられたのです。

素直に静かに今の喜びをかみしめたいと思います。
今日から、君らの新たなる人生が始まります。
真新しい白いページを共に開きましょう。
私たち教職員は、君たちの、大きな希望の手助けになりたいと考えています。
共に新たな時間を歩みましょう。
最後に、君らを慈しみ、今日の日を迎えた保護者の皆さんに、心からの祝意と歓迎のあいさつを申し上げます。


命二つ立教新座高校入学式祝辞

命二つ中に活きたる桜かな

これは、「野ざらし紀行」にある、松尾芭蕉の一句です。
前書きに、「水口にて二十年を経て故人にあふ」と、ありますから、芭蕉が、今の滋賀県甲賀市の水口で作った句です。
故人は、普通は死んだ人のことを言いますが、ここでは、違います。古い友人といった意味で使われています。古い友人とは、芭蕉の弟子であり、友人とも言いうる、服部土芳のことです。二十年ぶりに友人に会った時の思いを述べた句です。
「二十年あまりも会うことのなかった友人二人が、命あって再会することができた。その喜びの二人の中に、桜がいきいきと咲いている。」といった解釈になるでしょう。
「活きたる」は別の本では、「生きたる」と書かれています。どちらにしても、二人の命が生きて会えることと、活き活きとした桜の花を形容しているのでしょう。

この句の背景は、以上のようなものですが、私が今この句を取り上げたのは、「命二つ」
という初めの五句を思い出し、又、この学舎に咲く桜の木を思ったからです。

句の成立した背景を越えて、命二つという発想が、心に強く響いてきたからです。
私たちは、命を自分一人のものと考えがちです。
かけがえのない命は、もちろん自分だけのもの。他の人と取り換えようのないものです。

私は<命一つ>と考えていました。
それを芭蕉は、まず<命二つ>と切り出したのです。
命は、自分一人のものですが、一人で支えているものではありません。単数ではなく、複数の命によって支えられているのです。他者の存在なしに、命はありません。
親と自分、友人と自分、他者と自己、それぞれがその命を自分の中に大切に抱えながら、親、友人、もうひとつの命に支えられ、<命二つ>の中で生きているのです。

命は一つで生きていくことはできません。
自分にかけがえのない命は、相手にとってもかけがえのない命なのです。
人は誰もが意地悪な面を持っています。今まで、一度も人に意地悪をしたことのない人はいないでしょう。相手の心を傷つけたことのない人はいません。傷つけたことがないと思っている人でも、相手が傷つけられたと思っていたことはきっとあるはずです。

私は、君たちより長く生き、君たち以上に人を傷つけてきたに違いありません。私は、自分の命が自分だけのものと勘違いしていたのです。勘違いではなく、「命は一つ」と、思い込んでいたのです。

<命二つ>と、考えることは、相手の心に近づき、自分の身を相手に重ねることです。
互いに命の尊厳を認め合うということです。
暴力は、命の尊厳の否定です。いじめは、相手の命を無視することです。
暴力は、相手の心に土足で入り込む乱暴です。乱暴は許されません。
いじめは、最悪の暴力です。

桜が咲きました。命二つ新たな時を迎えました。
互いに命を思いやり、活き活きと、この学舎の桜の木の下で出発しましょう。

今年の北国の春は悲しい春になりました。何時もなら、南から桜前線の便りが、届けられ、その北上に、心が躍りました。今年はその便りに浮き立つことはありません。
しかし、桜は咲きました。今年ほど桜の下の命の大切さを思わない春はありません。
被災者の方々の辛苦は言語表現の及ぶ範囲ではありません。
深い悲しみの中で、入学式を前にした君たちと同じ年代の少年の笑顔がテレビに映し出されました。誰もが、悲しみを胸に秘めています。私にも不安があります。悲しみがあります。しかし、私はその少年の笑顔を見た時、勇気づけられている自分に気づきました。
少しでも被災地の方を勇気づけなければならないと考えていた自分が勇気づけられたのです。そのパラドックスに戸惑いながらも私は今それを素直に謙虚に受け止めたいと思います。何げない日常がいかにかけがえのない尊いものであるかを、少年の笑顔が、私の惰眠を覚醒したのです。

私たちは、この日を、日常を支えるすべての人に感謝して迎えたいと思います。
謙虚に、しっかりと互いに命の尊さを思いながら、入学の時を迎えたいと思います。
保護者の皆さん、ありがとうございます。
本校教職員一同を代表し、歓迎と祝意を述べて挨拶を終わります。
諸君、入学おめでとう。

命二つ中に生きたる桜かな。