無断掲載お許し下さい でも、ちゃんと読んで考えたい その2 |
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衆議院議員 河野太郎 氏 HPごまめ集 元福島県知事 佐藤栄佐久 氏 2011年4月21日 14:20 救済されるべきは東電ではない 今朝の各紙に東電の賠償に関する政府支援の枠組みが掲載されている。正式決定でもないのに、各紙に同じ内容が載るというのも変な話だが、様子見のアドバルーン、あるいは既成事実化を狙ったものだろう。 この計画はダメだ。なぜ、最初から国民負担で東電を救済しなければならないのか。 事故の責任者として、東電には、逆立ちしても鼻血も出ないという状況まで賠償させなければならない。送電網を含め、資産の売却も必須だ。 今回、送電と発電の分離に至らないような枠組みは、国民が許してはいけない。 国が立て替えて、東電が利益から払い戻すというのもおかしい。電力は、総括原価方式で、必ず利益が出るようになっている。それでは結局、国民が負担するだけだ。 電力の安定供給に問題がでるというならば、東電に全てはき出させた上で国有化すべきだ。現在の東電の存続を前提として、計画をつくるべきではない。 さらに他の電力会社に負担させ、電力料金を引き上げて、それに充てるなどというのは言語道断だ。それならば、まず、原子力環境整備促進・資金管理センターに積み立てた3兆円を使うべきだ。 この状況で、再処理をどうするかは当然見直しの対象になる。それならば、そのために積み立てた3兆円を当面、賠償に充てるのが筋だ。この3兆円には手をつけずに、政策の見直しはなるべくしないようにして、電力料金を引き上げるなどとはとんでもない。 この計画では、これまでの原子力政策の過ちを何も改めないということになる。 マスコミも、解説もせず、大本営発表をそのまま流すようなことをまたやろうというのか。 東電は、全てを賠償金のために準備するべきで、無駄な広告など、即刻やめるべきだ。 ぜひ、地元の国会議員に電話して、国民にまず負担させるような、こんな東電救済をやめろと声を上げてほしい! 2011年4月18日 16:46 原発を増やさないために この夏の電力の供給力が議論される時に、鍵を握っているのが揚水発電だ。 必ず、揚水発電抜きでどれだけ、揚水発電込みでどれだけというように数字があげられる。しかも、揚水発電がどれだけできるのか、東京電力も経産省も今ひとつ煮え切らない。しかも、その割に揚水発電の能力がかなりたくさんあることに驚く。 なぜ、揚水発電の能力は、こんなにあるのだろうか。 原子力発電には二つの電力供給量の制約がある。一つは設備容量、つまり最大限どれだけ発電をできるかという能力だ。いうまでもなくこれを超えて発電することはできない。 しかし、原子力発電にはもう一つの制約がある。それは夜間の最小電力需要量だ。 原子力発電は、構造上、発電量を簡単に上下することはできない。だから原子力はベースロードと言われ、一定量の発電をずっと続けて運転する。需要量が増えた時に、電力会社は火力や水力の電力を増やして対応していく。 逆に、需要量が減ったからといって、発電量を落とすこともしにくいのが原子力だ。だからもし、日中の最大消費量が100、夜間の最小消費量が50、原発の設備容量が70だとしても、原発は最小消費量を超えて運転しにくい。原発は最小消費量にあわせて50で運転しなければならない。もし、70で運転してしまうと、夜間に消費がそれを下回る時に、発電量をそんなに急に絞ることができない。 そこで出てくるのが揚水発電だ。原発の設備容量70と最小消費量50の差を埋めるために揚水発電所をつくり、夜間、原発の電気が余り始めたら、その電気を使って水をくみ上げる。つまり、原発の電気が余らないように揚水発電所をつくって、夜、電気が余る時に電気で水をくみ上げ、昼間、その水で発電をする。 だから原発と揚水発電所はセットなのだ。(セットだというと原発のコストに揚水発電所を入れなければならなくなり、原発電力のコストが高くなるから、経産省も電力会社も別物だという顔をする) だから、揚水発電の能力がこんなにあるのだ。 フランスは、80%が原子力というが、それはちょっと違う。フランスだって最小消費量を超えて原発を動かすことはできない。しかし、フランスの場合、他国と送電線がつながっていて、ドイツその他の国に電力を販売している。だから、他の国の最小消費量を足していった分だけ夜間も発電できる。フランスが原子力でこれだけ発電しているというのとフランスが消費している原子力の電力がこれだけだというのは違う話だ。 原発を増やそうと企む経産省と電力会社と電力族の政治家は、何とかして夜間の消費電力をあげようと様々な努力をしてきた。そう、あれもこれもそれもみんな夜間の電力消費を増やし、原発の増設を可能にするために推進されてきた。だから彼らはピークカットとはいわない。ピークシフトという。ピークシフトして、夜間の最小消費量をボトムアップする。これが彼らの夢だ。 これを理解せずに、単純に、昼間の電気を節約して夜にそれを回そうなんてことをうかつに言うと、彼らがぺろりと舌を出す。 2011年4月14日 23:36 東電の国有化 経団連の会長や自民党の一部の議員が東電の国有化反対を唱えている。最初から東電の国有化に反対するというのはおかしい。 してはいけない国有化は、福島だけを切り離して国有化すること。これは東電救済以外の何ものでもない。これはだめだ。 東電を国有化し、送電部門を切り離して、発電部門を整理して、発電部門は民間に売却する。(原発の扱いは議論の余地がある)こういう国有化は十分に検討の余地がある。 送電と発電の分離は絶対にやるべきだ。これをやらせないように東電は経産省から天下りを受け入れてきた。送電と発電の分離をすることにより、再生可能エネルギーの導入もスムーズになる。これまで送電部門も握ることによって、東電は再生可能エネルギーが送電を利用することを拒み、再生可能エネルギーの発展を防いできた。これも与野党の電力族が経産省と一緒に守ってきたものの一つだ。 今回、電力利権を叩きつぶそうとするならば、政治家が、メディアが、経団連が、評論家が、そして学者が何を主張するか、国民は気をつけていなければならない。 再開された仙台空港に飛んだ第1便は、15歳未満の小児から脳死下で提供された肺を移植のために運んでいた。 128例目、法改正後42例目、そして家族承諾39例目の臓器提供は、日本で初めての小児からの脳死下での臓器提供となった。 平成20年に13件だった脳死下での臓器提供は、平成21年には7件と半減。平成22年は1月から7月17日の間に3件。 それが平成22年7月17日の改正法が施行されると、22年の残り約5ヶ月で29件の脳死下での臓器提供が行われた。それまでの一年間の臓器提供数が13件だったから、法改正の意義は大きい。 今年に入ってから今日まで、13件の臓器提供があった。震災の影響か3月は全く臓器提供がなかったが、それでもこの数字になっている。 2011年4月12日 17:00 この夏、本当に電力は足りないのか 自民党本部で東京電力からヒアリング。 東電は、今年の夏の需要をピーク時で5500万kWと予測して、それに対する供給が、3月25日時点で揚水発電なしで3600万kW、揚水発電を入れると3800万kW。それが今年の夏までに揚水発電なしで4650万kWに復旧するという。 さらに、そこから常磐共同火力と鹿島共同火力が復旧し、ガスタービン、ディーゼルエンジンなどを設置し、さらに自家発電の余剰購入等で揚水発電なしで5000万kWまではめどがついたと発表。 揚水発電のベースがそれに200万kW上乗せされ、さらに揚水発電が増える可能性もあることから、かなり供給が需要に追いついている。 これに、さらに需給調整契約がある。今日、東電が出してきたのは需給調整契約の一部だけ。「あらかじめ休日に工場の操業を振り替えたり、一時停止してもらう契約」が130万kWと「電力需給逼迫時に使用を控えてもらう契約」が110万kW。このうち130万kWは需要予測にカウント済というが、東電の言い値でも110万kWは需要を減らせる。 東電が出してきた以外の契約形態もあるはずだか、それについては東電は今日は資料を出してこない。 こうしたプレゼンに対して、1.需給調整契約の内容をきちんと出すこと、2.中長期的な対策として火力発電所の増設が載っているが、アセス抜きなどという無謀なことはしないこと、3.「マスメディアと提携した情報提供」という項目に堂々とテレビCM、新聞広告、雑誌、各検索エンジンへのバナー広告などとうたっているので、これから東電の損害賠償を議論しようという時に、これまでのようにコマーシャルでマスコミを黙らせようというのはとんでもない、節電を訴える必要があるならば政府広報なり、AC(電力も入っているが)でやればいいことで、マスコミに資金提供するのはやめることを主張したが、まともな回答がないまま本会議の時間になった。再度、東京電力の出席を求め、散会。 夏にどれだけ電力が足りないのか、それをどう補うのか、きちんと情報が公開された状態で議論する必要がある。 また、これまで環境省所管の法律は、原子力発電所は全て適用除外になっていた。この国会に水質汚濁防止法の改正案が政府から提案されるので、まずこの改正に当たり、自民党から議員立法で、原発由来の水の汚染が適用除外になっていたのを改める改正を提案するように環境部会で提案した。この他の法案についても全て適用除外を外し、経産省が利権を守るために環境省に手を出させないというこれまでの負の構図をきちんと直す作業が必要だ。 2011年3月29日 16:54 もんじゅは今、どうなっているか もんじゅは、今、いったいどうなっているのかというお問い合わせをたくさんいただきました。 団藤保晴さんの「高速炉『もんじゅ』に出た生殺し死亡宣告」というタイトルの記事( http://getnews.jp/archives/82554 )を参照された方も多いかもしれません。 このブログは、昨年の10月26日の記事で、当時は、ひょっとするとこういう状況になりかねないということだったかもしれませんが、その後、状況に変化がありました。 平成7年末にナトリウム漏洩の大事故を起こしたもんじゅは、その後15年弱停止していました。平成22年5月6日に試運転を再開しましたが、8月26日に炉内中継装置という直径46cmのパイプ状の装置を原子炉内部に落とすという事故を起こしました。 炉内中継装置をつかむ機能を果たすロッドとパワーシリンダのつなぎ目のねじが緩んだことが原因でした。このパワーシリンダは、平成15年に現在のものと交換されました。以前のものには、設計後の製作の段階で、ねじの緩みを防ぐ対策がとられていましたが、なぜかそれが設計に反映されず、交換された新しいものにはねじの緩み対策がありませんでした。 しかも、ねじそのものがきちんと止められていませんでした。 この部分は、次のものではねじ止めをやめ、一体成形されることになっています。 落下したパイプ状の炉内中継装置は、途中で変形し、さやの部分に引っかかって抜くことができなくなりました。(平成22年10月13日) この時点で、上記のブログ記事が書かれています。 この後、対策が検討される中で、炉内中継装置のさやにあたるスリーブごと一緒に引き抜くことが決定され、現在、そのための治具が作成されています。4月からモックアップで引き抜きの訓練が始まり、6月にさやごと引き抜きが試みられることになります。 もんじゅの原子炉内には液体ナトリウムがあり、それが気化したものがさやの壁面に蒸着していることが予測され、引き抜きに必要な力はかなり大きくなると思われます。 さらに、空気が原子炉に入ることを防ぐためにアルゴンガスが密封されているので、引き抜き作業をするためには、その部分に覆いを掛け、そこにアルゴンガスを入れ続けながら、作業をすることになります。 ちなみにこのスリーブは、抜くことを想定しておらず、これまで抜いたこともありません。構造上は、抜くことは可能です。もし抜けなければ、上記の記事にあるように、ふたを壊さなくてはならないかもしれません。 炉内中継装置をスリーブごと抜くことができれば、先端を確認し、炉内に損傷がないかも確認することができます。 独立行政法人 日本原子力研究開発機構には、現在行われている作業が、ホームページ上でもっとわかりやすくなるように、お願いしました。 2011年3月31日 22:16 再生可能エネルギー100%を目指す 311以後、日本の、そして世界のエネルギー戦略は変わらざるを得ない。 特に日本のこれまでの誤ったエネルギー政策は転換されねばならない。 エネルギー政策を転換するという強い政治のリーダーシップの下、それを実現するための合意形成とルール作り、そして技術開発が求められる。 今後、原発の新規立地はできないし、政治的な決断で原発の新規立地を止めるべきだ。この場合、40年で原発を廃炉にするということを考えると、ほぼ2050年までに日本の原発は止まることになる。 具体的には、2020年までに20%の省エネ・節電を実現し、廃炉になる原子力の分を天然ガスと再生可能エネルギーで補っていく。 2010 2020 省エネ − 20% 再生可能エネルギー 10% 30% (37%) 原子力 25% 10% (13%) 天然ガス 25% 25% (32%) 石油石炭 40% 15% (18%) ( )内は2020年の電力構成に占める割合 最終的には、さらに省エネを進めながら、再生可能エネルギー100%を実現する。 欧州気候フォーラム、ドイツ環境諮問委員会、欧州再生可能エネルギー協会、ドイツ連邦環境庁などが再生可能エネルギー100%のシナリオを掲げ始めているが、その多くは2050年に再生可能エネルギー100%を打ち出している。 日本も、政治主導で2050年に再生可能エネルギー100%を目指し、そのための合意形成やルール作り、そして技術開発を進めるべきだ。 2005年、太陽光発電の年間生産量は、1759MW、日本のシェアは47%だった。それが、経産省と電力会社、与野党の原発族の誤った政策により、坂道を転がり落ちるように地位を失っていった。 年間生産量 日本のシェア 2005 1759MW 47% 2007 4729MW 25% 2008 7350MW 18% 2009 10000MW以上 12% この10年、全世界の自然エネルギーへの投資は、驚くべき勢いで増えている。 2002 220億ドル 2003 270 2004 350 2005 600 2006 930 2007 1480 2008 1550 2009 1865 2010 2430 2010年末に全世界の風力発電の設備容量は1億9千万KW、それに対して原発は3億8千万キロワット。このまま推移すれば、あと5年で風力発電の設備容量は原子力発電の設備容量を追い抜くことになる。実際は、市場の拡大により、あと3年で風力と原子力の設備容量は逆転するだろう。 日本の外では、再生可能エネルギーが驚くべき勢いで伸びている。原発タリバンによる反再生可能エネルギープロパガンダから日本を解き放たなければならない。 2011年3月27日 16:19 原子力政策の分かれ道 アジアから日本への応援メッセージ http://www.asiaforjapan.com/ かつて、六ヶ所村に建設された再処理工場のアクティブ試験を始めようという時に、政策転換の議論が起きた。 今、アクティブ試験を止めればこれ以上の税金を無駄にしないですむが、一度、アクティブ試験を実施すればプルトニウムで施設が汚染され、その後、引き返そうとしても莫大な税負担が発生する、だから、ここで政策転換をしようという主張だ。 プルトニウムを燃やす高速増殖炉は、1970年頃の予測では、21世紀初頭には商業的には利用できるようになっているはずだったが、現実には高速増殖炉の開発は全く進まず、当時でも、政府は少なくとも2050年までは高速増殖炉の商業利用はできないと公式に認めていた。 既にヨーロッパに委託していた再処理により、日本が保有するプルトニウムは40トン近くにのぼり、それすら利用できないのに、六ヶ所村の再処理工場を稼働させて毎年、何トンものプルトニウムを取り出して、いったいどうするのか、という問題提起だった。 再処理工場の稼働に反対する2 http://bit.ly/edGxH4 再処理工場の稼働に反対する http://bit.ly/fufsEZ 経産省内部でも、事務次官黙認の下、今でいう「ジャスミン革命」の芽が生まれ、「19兆円の請求書」( http://bit.ly/ed9f90 )というタイトルの快文書が世論に訴えるために作成された。 残念ながら、マスコミはこれを黙殺し、自民党内でも政策展開の議論は広がらなかった。 当時、科学技術担当大臣経験者の「ウランもプルトニウムも同じなのに、なにガタガタ言ってるんだ」という発言もあり、かなり多くの議員は、核燃料サイクルとウランを原発で燃やすことの違いを理解していなかった。 あのときが、日本の原子力政策の転換の一つの大きな分かれ道だった。しかし、この福島の事故により、原子力政策に対する関心は、以前とは比べものにならないぐらい高くなった。 これまでのように、電気は必要だから原子力発電に文句を言うな、再生可能エネルギーなんてコストは高いし不安定だからダメに決まっている、といった乱暴な声は少なくなっていくだろう。 もう一度、徹底的な日本の原子力政策の見直しのための議論が必要だ。 2008年6月 9日 09:20 再処理工場の稼働に反対する1 六ヶ所村の再処理工場の稼働に反対する ウラン鉱山から天然ウランを掘り出し、それを濃縮、加工して、燃料を作り、これを原子炉で燃やしてエネルギーを取り出すのが原子力発電です。ところが我が国の原子力政策はそこで終わりません。原子炉でウランを燃やすと、どうしても燃え残りが出ます。これを使用済み核燃料といいます。このウランの燃え残りを「再処理」するとプルトニウムがとりだされます。そして、「再処理」で取り出されたプルトニウムを高速増殖炉という特別の原子炉に入れて燃やすと、理論的には投入した以上のプルトニウムが取り出され、つまり燃やした燃料以上の燃料が生産されるはずです。これを「核燃料サイクル」と呼びます。 1967年に国の原子力委員会は、この「核燃料サイクル」の実現を国策として目指していくという基本方針を打ち出しました。地下資源に恵まれない我が国にとって、原子力発電所の燃料のウランも火力発電所の燃料の石油も海外からの輸入に頼っていることにはかわりありません。そして、1970年代のオイルショックで石油の価格が暴騰すると、国際的なウランの価格もあっという間に跳ね上がりました。輸入したウランからプルトニウムを取り出し、そのプルトニウムを使って発電することができれば、燃料コストを引き下げると同時に燃料の安定供給にもつながると考えられたのです。 ある時代には正しい政策も、時代が変わると合理的ではない政策になるということはよくあります。厚生年金で作った大規模保養施設グリーンピアなどがその良い例です。そして1960年代から1970年代にかけては合理的な政策だった「核燃料サイクル」もその後の環境変化によって、誤った政策になってしまいました。 1970年代には比較的埋蔵量が少ないと思われ非常に高価だったウランでしたが、2003年に発行されたハーバード大学のレポートによれば経済的に採掘が可能なウラン資源は原子力発電が急成長しても100年分以上あるといわれています。1970年代のウラン価格に比べ、最近の価格は非常に安くなっていて、プルトニウムを取り出す方がよっぽどコストがかかることになりました。つまりコストや安定供給の面からは「核燃料サイクル」の必要性がなくなったのです。 もっと困ったことに、プルトニウムを燃やすための高速増殖炉とよばれる原子炉が、計画から三十年たった今も実現していないのです。ナトリウム漏れの大事故を起こした「もんじゅ」は、この高速増殖炉の実験のための原子炉でした。三十年前に三十年後の技術と言われた核燃料サイクルは、三十年たった今、やはり三十年後の技術なのです。 プルトニウムは危ない物質です。同じ核物質であるウランなどと比べてもその毒性は飛び抜けています。そして、プルトニウムは核兵器の原料であり、IAEAの厳重な監視下におかれています。 最近、北朝鮮がプルトニウムを使って国際社会に揺さぶりをかけていますが、北朝鮮が入手したプルトニウムの量は約5Kgと言われています。それに比べてこの三十年間、核燃料サイクルの実現を言い続けてきた我が国はずっとプルトニウムを溜め続けてきました。今や、日本が所有するプルトニウムは、38トンを超えています。かたやキログラム、かたやトンです! IAEAは、毎年その査察予算のかなりの部分を北朝鮮ではなく日本が保有するプルトニウムを査察するために使っているのです。 「もんじゅ」計画が頓挫して、プルトニウムを燃やすことができなくなったため、経済産業省と電力会社は、大あわてでプルトニウムをウランと混ぜてふつうの原子炉で燃やすために「プルサーマル」という計画を立案しましたが、この計画もまだ実現していません。仮にプルサーマルの原子炉が一基稼働しても、38トンのプルトニウムを燃やすのに、35年かかり、発電コストはウラン発電の約四倍になります。 ウランの燃えかすからプルトニウムを取り出すことにコスト的なメリットもなくなり、しかも、国内にはこの危険なプルトニウムが余って処分ができなくて困っているというのに、なんと三十年前の計画に沿ってプルトニウムを取り出そうという計画が着々と進行しています。 青森県の六ヶ所村にプルトニウムを取り出すために当初予算七千億円、完成してみたら二兆円のコストで「再処理」工場が完成しました。この再処理工場からは年間5トンのプルトニウムが生産されます。時々、日本は核兵器を作るのではないかという話が海外からありますが、疑われるのも無理ありません。 再処理工場にかかる費用は莫大です。再処理工場を計画通りに稼働させるコストは13兆円です。厚生年金で作られたグリーンピアが大きな問題になりましたが、グリーンピアとそのほかの年金福祉施設にかかった費用をすべて合計しても、数千億円の単位でした。それに比べて、再処理工場にかかる費用がいかに大きいかよくわかると思います。 しかも、この数字には大きな疑問符がついています。この十三兆円という数字は、半年前にはもう少し高かったのです。費用負担が多いと言われることを恐れた関係者が鉛筆をなめて数字を下げて作った数字だといわれています。それを裏付けるように、工場の建設費用が当初七千億円と見積もられていたのに、完成してみたら二兆円、つまり約三倍の誤差があったのです。この調子でいったら三十九兆円の国民負担になりかねません。 しかも、この再処理工場は稼働前からトラブルが続いています。既に確立された技術であるはずのステンレスの溶接部分ですらひび割れするという事故が起きています。そして、この再処理工場ではジルコニウムとステンレスの異材継ぎ手という全く新しい技術が何万カ所にも使われていて、関係者ですら何も問題が起きないとは思っていないのです。 この再処理工場は、本格的に稼働させる前に、ウランを使ったテスト、そしてプルトニウムを使ったテストを実施することになっています。今年中にでもテストを開始したいと関係者は公言しています。しかし、一度プルトニウムを使ったテストが行われてしまえば、この工場全体がプルトニウムで汚染されてしまいます。そうなってから核燃料サイクルを見直して、やっぱり再処理をやめようということにしても、核で汚染された工場を解体するためには兆の単位の莫大な費用がかかります。 なぜ、十兆円を超える莫大なコストをかけて、当面必要のないプルトニウムを取り出すこの再処理工場を稼働させなくてはならないのでしょうか。なぜ、三十年前に立てた計画を変更し、再処理を中止することができないのでしょうか。 余っているプルトニウムのこと、六ヶ所村の再処理工場のこと、あるいはそれに伴い国民負担が少なくみても十数兆円もかかるということを初めて聞く方も多いと思います。年金問題に匹敵するようなことなのに、何でニュースで聞いた覚えがないのだろうと思いませんか。 マスコミはみんなこの問題に気がついています。しかし、新聞もテレビも報道してきませんでした。なぜならば、電力会社が莫大な広告宣伝費を使っているからです。電力会社の広告はマスコミにとって大きな収入源になっています。だから、公に発表されるような事故でもない限り、原子力の政策に関する報道、とくに国の政策に異を唱えるような報道はマスコミはそろって避けているのです。 経済産業省はいまだに核燃料サイクルの実現を至上の命題とした政策を遂行しようとしてあらゆる手だてを尽くし、挙げ句の果てには原子力発電の邪魔になるような自然エネルギーを徹底的に妨害し続けてきました。(つまり太陽光発電や風力発電が増えれば、原子力発電はいらないではないかという声があがるのを恐れているのです) 与党の政治家は電力会社と経済産業省に鼻薬をかがされ、野党の政治家は電力会社の労働組合から様々な支援を受けているためにモノが言えません。 電力会社にいたっては、もっとひどい理由です。日本の原子力発電所は、それぞれの発電所の中にプールを作り、ウランを燃やした時に出る使用済み核燃料を貯蔵しています。しかし東京電力の福島第二原子力発電所では、あと一、二年でこのプールが一杯になってしまいます。貯蔵プールが一杯になれば、それ以上ウランを燃やすことができませんから必然的に発電所を止めなければならなくなります。福島の次は中部電力の浜岡発電所、九州電力の玄海発電所、そして北海道電力の泊発電所と次々にこの数年間で使用済み燃料の貯蔵プールが一杯になるために発電所が止まってしまうという事態に直面しつつあります。 そこで、電力会社は六ヶ所村の再処理工場の近くに使用済み核燃料の貯蔵プールを作り、もし福島第二のプールが一杯になれば、六ヶ所村のプールに移動しようとしているのです。 ですから電力会社にとって、再処理工場本体が動くかどうかは問題ではありません。再処理工場に付属した貯蔵プールが使えれば良いし、使えなければ後一、二年で原発停止という事態になってしまうのです。 電力会社の中にもそれはおかしいと思っている人がいます。経済産業省の若い課長クラスにも核燃料サイクルは止めるべきだと思っている人がいます。自民党の中にも河野太郎のように声を上げている人間はいますし、他の党にも同調する声がないわけではありません。マスコミの中にも再処理工場にまつわる取材を綿密にやる記者もいます(ただ、異動させられました)。 でも、自民党でも野党でも、経済産業省でも電力会社でもマスコミでも真ん中に座っている人間たちは目と耳をふさいでじっとしているだけです。そして国民負担が十兆円を超えます。これって、国家規模の陰謀以外の何物でもないと思いませんか。 (ごまめの歯ぎしり第二十三号) 2008年6月 9日 09:20 再処理工場の稼働に反対する2 六ヶ所村の再処理工場の稼働に反対する 六ヶ所村に使用済み核燃料の再処理工場が造られ、この工場の稼働が迫っている。 問題は、この工場の稼働が本当に必要なのかという議論が極めていい加減に行われてきたことだ。 単純に言うと、この工場の稼働を稼働させることなく凍結すれば国民負担は4兆円で済むところを、ひとたび工場を稼働させると(つまり核で工場が汚染されることになると)国民負担は十数兆円にふくれあがる。 ここでそういう計画だからと議論無しに稼働を強行すれば、年金とグリーンピアのようなことになる(つまり負担が顕在化した時に、なんであのときにそんな馬鹿なことを止めなかったのか、と)。 再処理工場とは、ウランを原発で燃やした時に出てくる使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す工場だ。 本来、プルトニウムを取り出して高速増殖炉で燃やす予定だったのが、95年のもんじゅの事故で高速増殖炉の実現が極めて難しくなり、プルトニウムを燃やすことができなくなった。 通産省はあわてて高速増殖炉に代わり、プルサーマルという敗戦処理技術(あまりメリットがない)を位置づけたが、これも計画通り進まない。 ところが再処理だけはヨーロッパに委託したり、東海村で始めたりと先行してしまった。その結果、六ヶ所村の新工場を稼働させる前でもプルトニウムがどんどん貯まり、いまや国内に38トンもある。IAEAの査察費用のかなりの部分が日本のプルトニウムのために使われている。日本国内にあるはずのプルトニウム量と実際の量の誤差(MUFという)が200kgもある。 プルトニウムは、ウランの何万倍もの発ガン性を持つ極めて危険な物質であり、わずか5kgで核爆弾ができてしまうため警備が大変で、さらにコストも非常に高いというデメリットがある。 六ヶ所村の再処理工場を稼働させると、さらにこのプルトニウムが貯まっていく。 六ヶ所村の工場本体は当初計画で8000億円のはずだったのが、建ててみたら三兆円もかかった。 しかもステンレスの溶接という確立された技術を使ったところにひび割れが発生するという問題が起きている。 六ヶ所村の工場ではジルコニウムとステンレスの配管を異材継ぎ手という新しい技術でつないでいるところが何万カ所だか何十万カ所だかある。動燃の東海村の再処理工場も当初の稼働率は無茶苦茶低かったことを考えると、六ヶ所村の工場の稼働がスムーズにいくとは思えない。 再処理した時の総費用は11兆円と言われているが、これも発表の半年前には16兆円と言われていた。 11兆円という数字は、通産省がでっちあげた原発の発電コストである5.9円よりも高すぎず(高すぎれば再処理を止めろと言われる)、ある程度高く(ある程度費用がかかることにしないと電力会社に国が補助を出せない)という観点から創られた数字なのだ。 だから、国民負担がいくらになるかやってみなければわからないというのが現実なのだ。 2005年といわれる再処理工場の稼働開始を凍結し、再処理が本当に必要なのか、コストがいくらかかるのか、ということを検証し、きちんと合理的に議論してから結論を出すべきだというのが我々の主張だ。 原子力発電が、夏場の一時期の需要期を除き必要不可欠でもないということは、去年の原発の全面運転停止でも立証された。 本来ならば、水素ベースのエネルギー路線に転換するための研究開発や自然エネルギーで本当にどこまでやれるのかという政策転換が必要なのだが、それを担当する経済産業省は、自然エネルギーを殺している。自然エネルギーが着実に増加すると、原子力はいらないではないかという議論になっていくことをおそれている。 電力会社に対して自然エネルギーによる発電を求めたRPSという制度でも異様に低い数値設定をして、しかもその設定が前半は極端に低く、2010年以降は現在、設定がないという新規事業者の参入を阻止するための設定になっている。このため、風力発電に関しては、日本には未来がないような状況だ(風力発電事業者は2010年以降の需要を示せないために、そこから先の資金手当をすることができない)。 太陽光発電に関しても、ドイツが80円相当で買い入れるという法改正をして、先頭を走る日本に追いつこうとしているのに対し、日本はまったく逆を行っている。日本の太陽光発電のためのパネルメーカーも日本市場を相手にせず、ヨーロッパ、特にドイツを狙っている。 競争力のない産業を整理し、新たな産業を興すということが国策になりつつあるこの時代に経済産業という名前を持つ役所が、新規産業の有望な種を省益のために平気で殺している。 政治は何をやっているのかと言えば、自民党の電力族と経済産業省べったりの政治屋どもは民主党の電力総連の息がかかった議員どもと一緒に、電力の自由化が叫ばれているこの時代に、原子力発電は国策と位置づけようと必死になっている。 なぜ原子力を国策と位置づけたいかといえば、国策ならば国が金を出しても当然という議論ができるからだ。 つまり電力会社は原子力発電を維持しきれなくなっている。原発でウランを燃やした時に出てくる使用済み核燃料の処理ができなくなっているのだ。 電力会社の経営にとって、原発のバックエンドをどうするかは極めて大きな経営判断になる。電力会社は自分の会社が負担するよりは、血税で尻ぬぐいをしてもらいたい。 経済産業省は自分たちの政策ミスを表には出したくないし、天下りやらなんやらのおいしい蜜である原子力を維持したい(まさに厚生省の年金と同じだ)。 政治家は原発によって地元に落ちる補助金を維持したい。労組は原発による雇用を維持したい。 ババを引くのは一般納税者、高い電力を買わされる消費者、そして地球環境ということになる。 自民党の中でエネルギー問題の責任者を務めたこともある亀井善之農水大臣も、自らの著作の中で原子力はもはや国策ではない、見直しが不可欠だと訴えている。 にもかかわらず、与野党の中に暴走する議員がいる。 グリーンピアの悲劇を目の当たりにして憤慨している納税者よ、今、原子力政策の見直しを求めて立ち上がれ。 年金問題で特集を組んでいるマスコミよ、原発の問題の特集を組め。今、動けば十兆円以上の国民負担をストップできる。 電力会社、特に東京電力は、自らの都合で六ヶ所村の再処理工場を稼働させたがっている。 原子力発電所は、運転すればかならず燃やしたウランが使用済み核燃料となって出てくる。日本の原発が抱えている直近の課題は、この使用済み核燃料を貯蔵するスペースが無くなりつつあるということだ。 とくに東電の福島第二では、この使用済み核燃料の貯蔵スペースが後二年分程度しかない。日本の原発トータルで見ても、今のままならばあと七、八年で貯蔵スペースがなくなる。 そこで、2010年をめどに、青森のむつに、中間集中貯蔵施設を造ることになっている。ところが、これはあくまでも中間貯蔵であって最終的な処分では無いということになっている。そのために、六ヶ所村の再処理工場を稼働させることにより、中間貯蔵しているものも再処理してよそへ持っていきますということで、むつの施設を認めてもらっている。だから電力会社は、六ヶ所村の再処理工場を稼働させないと原発の稼働が止まってしまうので、あせっている。 しかし、再処理工場などにかかるコストを誰が負担するのかということが明確に合意されない限り、この費用は電力会社の経営の命取りになりかねない。 原子力発電所はいいことだけではない。使用済み核燃料という核のゴミがどんどん出てきているのだ。 これを処理する方法は二つある。ひとつは、ウランを燃やした時に出てくる使用済み核燃料、つまり今、原発からでている核のゴミをそのまま処分する方法。 もう一つは、再処理をしてプルトニウムを取り出す方法。再処理をしてプルトニウムを取り出すと、使用済み核燃料は高レベル放射性廃棄物と呼ばれるタチの悪いゴミに代わる。再処理をするとTRU(トランスウラニウム)と呼ばれるコバルトやストロンチウムよりも毒性が強くしかも半減期が何万年、何十万年と非常に長い物質が出てくるのだ。 再処理を推進しようとする経産省などは、再処理をすると処分しなければならない量が減るから(1トンの使用済み核燃料を再処理すると0.7トンの高レベル放射性廃棄物になる)、処分しやすいと主張する。これは大きな間違いだと思う。なぜならば処分すべき核のゴミは三割減るかもしれないが、TRUを作り出してしまえばTRUそのものの量の何倍もの体積のTRUに汚染された廃棄物が生まれる。処分の難しさは重さではなく体積で決まる。だから重さは三割減っても、処分すべき体積は何倍にもふくれあがる。 経産省の見積もりではTRUの処理に8100億円かかる。この見積もりは甘いと僕は思う。再処理工場本体の見積もりが三倍以上にふくれあがったように、このTRUの処理コストも何倍にもなると僕は考えている。 そして、この高レベル放射性廃棄物の最終処理場所は決まっていない。(六ヶ所村でたしか40年間の中間貯蔵をすることになっているが、その後どうするかは未定である。経産省はその後、数百年間にわたり、地層処分、つまり地中深く穴を掘って埋めると主張している。問題はどこに、ということだ。) いずれにせよ、今のずさんな見積もりと国民に対する説明責任もあいまいなまま、再処理工場を稼働させ、再処理をして燃やし方も決まらない大量のプルトニウムを取り出して、高レベル放射性廃棄物を最終処分するか、再処理を当面凍結し、使用済み核燃料の中間貯蔵期間を伸ばす方策を考え、その間に再処理が必要なのかどうかを検討し、コストを精査して、国民的な議論をきっちりとやるかの分かれ道に立っている。 |
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